大学を休学中にウェブの制作などを手掛ける会社を立ち上げた小林さん。明るい性格で、昔からムードメーカー。自分は裏方に回り、人びとを「楽しませたい」という想いが、アートディレクターとしてのクリエイティブな仕事に結びつきました。


目次

1.学生時代:強制的な「海外派遣」が不良少年の人生を変えた。
2.キャリア選択の軸:パーティーの喫煙所で、運命の「相方」と出会う。
3.社会人時代/ビジョン:叶えたい世界をカタチにするためのデザインであり、クリエイティブ。

学生時代:
強制的な「海外派遣」が不良少年の人生を変えた。

中学時代、僕はお世辞にも素行が良いと言える生徒ではありませんでした。国家公務員だった父に対する反発心から《大人への反発》につながっていったんです。周囲にご迷惑をおかけすることも、しばしばありました。

そんな僕に大きな転機が訪れたのは、中学2年の夏でした。
「アメリカに行きたいか?」
ある日、唐突に校長先生に聞かれました。
しかも、廊下ですれ違い様に。笑

数日後、今度は校長室に呼び出され、「ロサンゼルスとニューヨーク、どっちがいい? 夏休みに行ってもらいたい」と。 何がなんだか分からず、「(ちょっと待てよ……)」という思いから質問の意図を聞くと、海外派遣短期留学制度を使ってアメリカに行ってみないかという話に。

このやりとりの数日前、「お前はこのままいくと自分の人生を棒に振る。勉強もできるし、友達思いなんだから、しっかりと人生を考えなさい。」「大人を見返したいなら、お前にはその方法がわかるはずだろう」と、厳しかった学年主任の先生から説得されていたことが、僕の心を動かしました。

アメリカへ行くチャンスに、自ら応募した人はたくさんいました。 ところが、応募していない僕が行くことになったんです。先生と、親が仕組んでいたんです。僕を変えるために。 こうして、アメリカへいくことに。。。笑

現地の人はみんな楽しそうで、自分に自信を持っていて、1人1人が自由に生きていました。 立場は関係なく、疑問に思ったことはすぐに言う。ただ、一方的ではなく、人の意見を聞いた上で自分の意見を貫くいていました。僕もこんな風に生きたい、素直にそう思いました。

ある日、ホストファミリーのおじさんに「アメリカ人はどうだい?」と聞かれ、僕は「すごくカッコいいと思う。将来、ここにいる大人たちの様になりたい。」と答えたんです。
すると、おじさんはこう言いました。
「ハルは覚悟をしないといけない。その点をどう考えている?自由とは、すべての責任を自分でとるということ。」
「自分に関わるすべてのことに責任を取り続けないといけない。責任は覚悟でしか担保できないから、それが大切なんだ。」

ロサンゼルスでの1カ月は、僕の生き方を、変えてくれました。

帰国してからは、僕を導いてくれた先生にアメリカで経験したことをたくさん話しました。
不良グループからも少しずつ離れていきました。
アメリカへの派遣がなければ今の僕は存在しないと思っています。
当時の先生方には本当に感謝しています。

キャリア選択の軸:
パーティーの喫煙所で、運命の「相方」と出会う。

【写真説明:インターンよりも優先したイタリア旅行時の写真】

アメリカへのホームステイを経て、大学にエスカレーター式で進める高校を志望し、法政大学第二高等学校へ進学しました。高校生活では軟式テニスに打ち込み、男子校だった事もあり「カワイイ女の子が多い」と噂されていたキャリアデザイン学部に進学するためだけに、勉強にも精を出しました。(笑)

無事に第一志望の学部に進学してからは、とにかく時間に追われる学生生活を送りました。
大学生活の前半は、主に「合コンコンサル」「ダブルスクール」に時間を費やすことになります。

男女の飲み会をセッティングする「合コンコンサル」を始め、多いときでは月間80万円ほどの”お小遣い”を得ていました。この機会が、人々を楽しませる体験を仕掛けていくヒントとなり、今の仕事に活きています。

また、大学のとある授業でインテリアデザイナーの方が登壇する機会があり、デザインの仕事に強く惹かれました。 手始めにカラーコーディネーター検定を1級まで取得し、コンピューターを用いた3D製図ソフトである「CAD」を扱えるようになろうと専門学校にも通い始めました。
本来は2~3年かかるコースを1年で習得しました。技術がないことには、何も始まらないと思ったんです。
ところが、専門学校を卒業したころ、インテリアデザイナーや、プロダクトデザイナーの業界や年収を調べると、自分がイメージしていた世界とかけ離れていたことに気づいたのです。

失意の僕は、大学3年の春ごろから、就職活動を意識し始めました。
クリエイティブかつ風土が合いそうな会社に絞り、まずは内定を視野に入れたインターンシップに参加していました。
しかし、選考を突破した4社のインターン日程がすべてイタリア旅行と被ってしまい、僕は迷わず旅行を優先してしまって・・・(笑)。

イタリア旅行から帰国後、驚いた事がありました。インターン参加予定だった大手広告会社から連絡があり、なんと内定を頂けたのです。もう1社からも、同じような形で「内定」の通知が届きました。

しかし、そんな幸運が起きたにも関わらず、僕は会社内部を案内して頂いたとき、「いつかこの会社は辞めるな」「そんな僕が何に貢献できるのだろう」と直感し、それなら最初から勤めないほうが良いと考え、2社とも内定を辞退させていただきました。なんとも勝手な話ですよね。当然、とても叱られました・・・。(笑)

また、その頃、とある学生主催のパーティーに参加していた僕は、後にDADA株式会社の共同創設者となる相方と出会いました。 パーティーの開始とともに名刺交換会が始まり、嫌気がさし喫煙所に入ると、同じタイミングでもう1人浮かない顔の男が入ってきました。そんな彼と話をしてみると、偶然にも同じ大学で、共通の趣味もあり、成り行きで「なんか一緒にサービスをつくってみよう」という話になり、何かに導かれるように起業していました。

社会人時代/ビジョン:
叶えたい世界をカタチにするためのデザインであり、クリエイティブ。

【写真説明:創業1周年の時の写真】

デジタル領域での企画、デザインを中心としたクリエイティブ集団を目指してスタートした弊社は、創業当初は自社サービスだけで展開していこうと思っていました。しかし、事業計画の見通しが甘く、半年ほどで資金が底を尽きそうになりました。それで、仕方なく仕事を求めて営業に回り始めたのです。

運良く頂いた初受注はPR会社の名刺とロゴのデザイン。「1週間でできる?」と言われて焦りましたし、10万円ほどの小さな案件でしたが、今でもその感動をよく覚えています。

会社が軌道に乗ったきっかけは、WEB業界では有名なブログに弊社のWEBサイトが評価されたことです。英語で書かれたサイトということもあり、海外からの問い合わせも来るようになりました。

今は、WEBサイトやスマートフォンアプリの開発の他に、自動車メーカーのカタログ制作から、ファッションショーのディレクション、テレビCMの演出、デジタルサイネージの企画など手広く手掛けています。
最近では、大手ブランドへ提案する指輪箱のプロデュースも始めました。

個人としては、わかりやすく「アートディレクター」と名乗っていますが、将来、僕の名前でしか存在しない職業を作りたいと思っています。
自分の名前を「職業」にしたいというと大げさな話ですが、自分にしかできない仕事を作り出したいという気持ちが強いです。

あとは、生きているうちに、「フルダイブシステム」を見たいと思っています。精神構造を仮想(電脳)空間につなぎ、意識ごと飛び込む、というシステムです。
「SAO」や「.hack」というタイトルがわかりやすいかもしれませんね。
個人的に、そういう世界があったら、世の中がもっと面白いなと。それを特等席でみて、生きてるうちに体験できたら最高ですね。(笑)
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出身 東京都
好きな言葉or座右の銘 ねだるな 勝ち取れ さすれば与えられん(アニメ「交響詩篇エウレカセブン」より)
聖書では「神に祈り求めなさい、そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう。」という意味で使われていますが、このアニメでは与えられるのを待つのではなく、自分から求めて動くことが大事であるという意味で使われています。
僕は、運も含め、人生は自分でつかみとるものだと思っているので。
趣味 ダーツ、DJ、洋服のショーの演出(半分仕事)、SFアニメ鑑賞
地球最後の日に食べたいもの 渋谷のラーメン店「麺屋武蔵 武骨外伝」の濃厚つけ麺
「大学を休学し、インターンシップで渋谷に通っているとき、月に20回ぐらい食べていました(笑)だから、思い出深いんです」
今一番行きたいところ プライベートではイタリア。ビジネスではインドとシンガポール
「イタリアの雰囲気が、僕すごく好きなんです。インドやマレーシアでは演算処理のプログラムに強いエンジニアを集め、シンガポールでは富裕層の顧客を獲得したい」

丸谷のぶ

フリーライター。
新聞記者として警察や司法、プロ野球やJリーグなどを
取材したのち、独立。
現在はスポーツから事件、就活、芸能ものまで幅広いジャンルで執筆する。
千葉県出身。

投稿者:

丸谷のぶ

フリーライター。 新聞記者として警察や司法、プロ野球やJリーグなどを 取材したのち、独立。 現在はスポーツから事件、就活、芸能ものまで幅広いジャンルで執筆する。 千葉県出身。