学生時代:
「山田の目は死んでいるね」といわれた中学時代。

小中学校は地元の公立中学、高校は地元の工業高等専門学校に進学しました。いわゆる「高専」は普通校と違って5年間通う少し特殊な学校なのですが、進学するきっかけとなったのは、14歳の時に「山田は目が死んでいるね」と言ってきた担任の先生の存在でした。

14歳の時にモチベーショングラフが一気に落ちているのですが、これは「サッカーを辞めた時」ですね。小学生の時からずっと地元のクラブチームでサッカーをやっていたのですが、先輩から嫌われていましたね。それで14歳の時にチームを辞めてしまいました。
しかし、辞めた後も学校には元チームメイトである同級生や先輩が居たので、廊下ですれ違うときに隠れたりとか、体育祭の時に笑えなかったりとか、気まずい思いをしましたね。この時、ちょうど反抗期で両親とも1年くらいは口を聞いてなかったので、どこにも居場所なかったです。そのため、当時はヤンキーの方々と一緒に遊んでいました。あれですよ、ヤンキーって居場所のない人の味方なんですよ(笑)。とはいえ、この時期はあまり何も楽しくなかったですね。

その頃に、当時の担任に「山田は目が死んでいるね」と言われました。当時は「この人なんてひどいことを・・・」とか思いましたけどね(笑)。そのあと「山田の目が死んでいるのは目標がないからだ」と言われ、なぜか高専の過去問5年分を渡されました。僕の学区では高専が最も入学する難易度が高かったので、「高専を目指してみないか?」と、僕に目標を与えてくれたんでしょうね。やることが本当になかったので完全に暇つぶしで始めたのですが、勉強でわからないところがあると気になって教科書を読んでみたり、両親や周りに聞いてみたりしているうちに、徐々に居場所ができ始め、楽しくなってきました。
結果として高専に入学できました。入学できた事自体も嬉しかったのですが、それよりも頑張るきっかけをくれたことが一番嬉しかったですね。あ、今でもその時の担任とは仲いいですよ。

【写真説明:
14歳の時居場所のなかった自分と一緒にいてくれたヤンキー光井くんとその子どもと地元岡山で】

キャリア選択の軸:
弁護士を目指すことを決めた高専時代。

高専では情報工学科という学科でプログラミングなどを勉強しました。当時ちょうど「一家に一台パソコン」という時代だったので、今後は確実にパソコンの流れが来ると思ったのですが、全くハマりませんでした。そのため、大して何も身についていません(笑)。

そんな中、生まれて初めて彼女ができました。いやー、それは嬉しかったですよ。卒業したら結婚するとか思っていましたし(笑)。しかし、それほどうまくいくわけではなく、彼女の大学進学と同時に振られましたね。今でも日付覚えていますよ、4月20日(笑)。
1年くらい引きずりましたねー。寝れなくて夜走ったりしていたこともあるくらいです(笑)。
何故これほど引きずるのかを考えていて、ある時思い至ったんですよね。「今の俺には自信がない」と。そこからはどうやったら自信が手に入るかを考えていきました。そこで、当時出した答えは「今やっていることに対して疑いや不安もない状態にあるとき、自信を持てる」というものでした。
振り返って、自分が困っている時に助けてくれた人がいたことを思い出しました。僕も困っている人にとってのそういう人になりたい、そう思うようになりました。そこで当時の僕が思いついたのが弁護士でした。
「弁護士になって、困っている人を助ける」
そのためには、大学に編入して、ロースクールに通い、司法試験に受かる必要がある。
そこにまっすぐ向かっていると思えた時、自信が持てるのではないかと思いましたね。

キャリア選択の軸:
「人」のありがたみを感じた弁護士までの道のり。

編入試験には無事合格でき、筑波大学に編入しました。
大学での2年間は非常に良い環境で良い時間を過ごすことができました。行動を共にすることが多かった編入組のメンバーみんな、とても能力が高く、志や理想の生き方みたいなものを持っていて、そいつらと一緒に色んな話をすることはすごく刺激的で、互いに切磋琢磨できました。
ちなみに弊社のCOO(最高執行責任者)も編入組の同級生で、この時の縁がきっかけで今はこの会社にいます。

とは言え、弁護士になるという目標はぶらさなかったです。そのため、当初の予定通りロースクールに入学しました。ただ、ロースクール時代は結構辛かったですね。法律を全く学んだことがなかったということもあるのかもしれませんが、圧倒的に自分よりも優秀な人たちがそこにいて、自分がめちゃくちゃ時間を掛けて理解し、覚えたことをあっさりとこなされちゃうんですよね。
本当に何度も心が折れそうになりましたよ。しかし、自分ではない誰かが凄くできることが、自分が頑張らない理由にはならないと思い、歯を食いしばって頑張りました。

頑張った結果、司法試験の直前には、絶対受かるというところまで到達できました。しかし、結果は2点足りなかったんです。結構、衝撃でした。今まで自分の目算がミスったことはなかったので。
本当に凹みましたよ。「俺、ださい。。」って。こんな俺は何の価値もないな、とも思いました。今まで自分の周りの人は、「凄い山田」が好きであって、試験で落ちてしまうような山田は好きでいてもらえないのではないかとも考えました。
しかし、実はそんなことなかったんですよ。試験で落ちたとかは関係なく、山田っていう存在自体を大切に思って応援してくれている人たちがいたんですよね。自分で言うのは恥ずかしいのですが、みんなだっさい僕のことも好きだったみたいです(笑)
そこからは楽でしたね。誰かに好かれる為に何かを頑張るのではなく、ただ自分が頑張りたいなってことだけを頑張ればよかったので。  
翌年、再度司法試験を受験した結果、無事合格できました。
その時は、本当にほっとしました。単純に頑張ってよかったな、とも思いましたね。

【写真説明:バカな遊びばっかりしていた友だちと】

キャリア選択の軸:
自分が助けたいのは本当にこの人たちだけか?弁護士時代の葛藤。

司法試験に合格した後は1年間の研修があり、最高裁判所で「弁護士」「検察官」「裁判官」の3つの職種をローテーションで経験します。元々、検察官と裁判官には一切興味がなかったのですが、弁護士業務を行う中でも弁護士という仕事に違和感が募りました。
自分と接することでより良い人生を送ることが出来るようになった方を見ると、すごくやりがいを感じることはできました。一方で今の日本だと弁護士に頼ってくる方はごく少数の方で、「これから何かを成し遂げてやる」「自分には何かができるはず」「自分には価値があるのかわからない」等考えている方とは出会うことが難しいです。
弁護士業務で人々に接する中で、「自分が本当に助けたい人はこの人たちだけなのか?」という疑問が頭から離れなくなりました。

そして、違うと確信したのが研修を終えて弁護士事務所に入った後です。
この事務所では「ベンチャー企業」に関わる案件が多く、複数の企業と関わりました。そんな中、アカツキのCOOで大学時代からの友人だった香田さんに声をかけられ、顧問として社内の法務に携わることになりました。
アカツキと関わるようになって本当に驚きました。みんな本気なんですよね。普通、弁護士に対して意見とかするのを恐がったりすると思うのですが、理解・納得するまでとことんディスカッションしますし、本気だからこそディスカッション自体がすごく楽しいし生産的なんですよね。そんなメンバーと一緒に仕事をするのは凄く刺激的でしたし、「この人達がより輝けるようになるのであればなんでもやってやる!」という気持ちが自分の内側から湧き出てくるのを感じました。

その時わかったんですよね。自分は「全てのヒト・モノ・コトには価値があって、それを、磨いて、輝かせたい」と思っている、と。困っている人を助けるというのはその一つの形にすぎないんです。今、目の前で頑張っている人がいて、その人が頑張ることを阻害する問題があるのであれば自分が取り除きますし、より成長する手段を知っているのならそれをいくらでも提供したい。誰かがアイディアをだしたら、それを一緒にいいモノに作り上げていきたい。この気持ちは自分の中で凄く腑に落ちました。

弁護士という仕事は凄く価値のある仕事だと思っています。ただ、自分はその仕事だけでは満足できない。この気持ちに殉じるために、弁護士という仕事は11か月という期間で辞めて、アカツキに入社しました。

社会人時代:
仕事で辛かったことと、それを受け入れられた考え方。

仕事、それはもちろん大変だなと思うことはたくさんあります。自分がアカツキに関わるようになって以降、一緒に働くメンバー、売上規模等々凄い勢いで増えていきました。関係する人や会社が増えるということは、その分問題の種も増えることだと思っています。自分の成長が会社の成長についていけていないと感じることもよくありました。また、上司からの期待値を超えられないことが続き、「自分は本当にダメだ…」「これ、あの人なら楽々とこなすのに…」など、よく思っていましたね。自分はメンタルが強いほうではないので、よく落ち込んでいました。

しかし、あるとき「それでいいんだ」と思えたんですよね。背伸びした自分ではなく、今の自分はできない人間というのを認めてあげました。できない人間が頑張って、今までできなかったことを少しでもできるようになるのがカッコイイじゃないですか(笑)。そのくらいに思えました。そうすると、「今の俺だとこんなものかな、上出来、上出来」「…けど、もうちょっとやっちゃおうかな!?そんな俺ってカッコよくね?」みたいに考えているうちにパフォーマンスも徐々に上がっていきましたね(笑)。

社会人時代:
メンバーと真剣に向き合う「青臭い文化」がアカツキ最大の魅力

アカツキっておもしろいんですよね。
「ワクワクしながら働けてる?」とか「結局、自分たちは何がしたいんだっけ?」みたいな、年をとると恥ずかしさが勝ってあまり口にできないような青臭いことをどんどんみんなが発信して、それを真剣に考えることができるんですよ。こんなことありますか?自分はこのあいだアカツキのテンションで外部の人と話した時、かなり引かれましたよ(笑)。
「仕事=辛いもの」で、「やりたくないことでもやらなければならない」と考える人や企業が多い中、もしかしたら誰も解決できないかもしれないモヤモヤした悩みを本気で解決しようと代表もメンバーも思いっきり向き合ってくれるんですよね。「辛いなら辛い理由を一緒に考えよう」、「メンバー1人1人のやりたいことを見つけ出そう」と話し合いをしたり。それは本当に価値があることだと思っています。

とても青臭い文化だと思います。端から見ると「何を甘いことを…」と思われるかもしれません。しかし、僕はそこにこそ一番価値を感じています。実際、辛いこと、やりたくないことを無理やりやるより、青臭くても本気でみんなで向き合いながら進める仕事の方が全体のパフォーマンスも高くなって合理的ですしね。そこに時間とお金とエネルギーをかける意味は大いにあると思っています。

【写真説明:アカツキのみんなと】

ビジョン:
「未来を見る」のではなく、行動指針に沿って「今を生きる」。

個人の人生において「達成したい目標は?」とか「夢は?」という質問って多いですよね。自分はあまりこの質問好きではないんです。この質問は答えを持っていない人にとってはすごく無作法で乱暴な質問だと思うんですよ。
あと、「ない」と答えた時に若干劣等感を感じたりする人もいると思うので。
僕は、夢や目標よりも、「自分が今一緒にいたい人と本気でやりたいことだけやる」という考え方があるので、それだけで十分だと思っています。大切なのは「今、一番本当にやりたいことをどこまで集中してやるか」ということだけです。自分が常に最大限やり切って、あとでそれを振り返った時に、成長していたり、ありたい自分でいられたらそれでよいのではないかと思っています。

ただ、夢や目標ではなく「行動指針」みたいなものは持っています。自分で作った「行動指針」に従う限り、僕は幸福度高く生きていけます。「行動指針」は100個くらいありますね(笑)。
この中から1つ紹介するなら、『後悔はしてもいい』ですかね。生きているとどこかで後悔はすると思いますし、逆に後悔しない人生なんて、つまらなくないですか?後悔も1つの経験なので、後悔したときの「うわああ」みたいな感情も大事にしてやりましょうよ(笑)。
その時の選択次第で「ありえたかもしれない自分」っていうのがあって、それは常に自分の頭の中や心の中をちらつくと思いますが、そっちの自分になっていたら、今の自分なんて想像の遥か先で、考えつくことさえできないですって(笑)。
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出身 岡山県津山市
好きな言葉or座右の銘 (行動指針)後悔はしてもいい
趣味 ・漫画喫茶を案内すること
・漫画ソムリエ(「寄生獣」「惑星のさみだれ」がおすすめ)
・ヒトを輝かせること(なので、FBで僕見かけたらお気軽に連絡もらえたらとー。
 可能な限りお返事させてもらいます。)
地球最後の日に食べたいもの お母さんが作ってくれたカレーライス
今一番行きたいところ 今ココがいつも一番行きたい場所でありたいですよね
真崎

真崎

フリーライターの真崎です。「人のこころと足が動く記事」を目指して、就活系・社会問題系など合計7つの媒体で記事を執筆しています。
個人ブログ「真崎ですよ」
http://masaki-desuyo.hatenadiary.jp/
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