学生時代は部活やアルバイトに打ち込んだという桐生さん。就職活動では一度つまづくも、一ヶ月中断して再スタートしたという柔軟な考えの持ち主でもある。それは社会人になっても変わらず、新卒第一期生という難しい立場を見事乗り切ったそうだ。


目次

1.東京でやっていければ、どこでも大丈夫だと思った。
2.キャリア選択の軸:「新卒一期生で面白そうだから」受けた会社だった。
3.社会人時代/ビジョン:「人を増やさざるをえない」くらいに仕事を増やしたい。

学生時代:
東京でやっていければ、どこでも大丈夫だと思った

僕の両親は「できないことをなくしたい」という方針だったこともあり、小さい頃から習い事をいろいろやっていました。ピアノや水泳、塾など、何から何まで本当に一通り経験しましたね。部活も小学校の頃はソフトボール、中学では剣道を行い、部活動には積極的なほうだったと思います。親や他人に迷惑をかけられないという意識はその頃からあり、「今ここで自分がやらなかったら、誰かに迷惑がかかるんだろうな」という概念がありましたので、辛くても練習をサボったことはないですね。 当時は東北地方に住んでいたこともあり、剣道を始めてからは体力や暑さ・寒さに対する忍耐力がついた気がします(笑)。 また、中学の頃は部活後に道場や他の習い事に行って夜10時くらいに帰ってきて、そこから勉強していました。今振り返ってみても、中学三年間が一番頑張っていたと思います。
高校は地元から少し離れた学校を選びました。小中学校は概ね同じ顔ぶれで、「皆、仲良く」という雰囲気だったのですが、それがどうも嫌になってきたのです。元々、「他人と同じ考えでないといけない」ということには抵抗があったので、敢えて離れた学校を選びました。 進路については、三つ上の姉が東京の大学に通っていたので、自分もそうしようとは思っていました。両親も「東京のような大きな街で一人暮らしができれば、日本のどこへ行ってもやっていけるだろう」と話しており、割と積極的に上京を薦められました。

大学に入ってからは友人も増え、アルバイトで得られる金額も増えたので、少しずつ自立していけているのが嬉しく、楽しく過ごせていましたね。大学時代も勉強に熱心なほうではありませんでしたが、親に迷惑がかかることを考えると留年は避けなければと思い、単位や出席日数については気をつけていました。 大学中はアルバイト先のコンビニで初めて夜勤を経験したり、夜勤明けでそのまま大学に行ったりと、なかなかハードでしたね。その次に勤めた100円ショップではレジ締めなど、ある程度責任のある仕事を任されたこともあります。 それから、上京して一人暮らしを始めてみて、思った以上に母の影響を受けていたことに気がつきました。実家にいた頃は「ちょっと手を伸ばせば何でも手が届く」という雑然とした部屋に憧れていたのですが、うちの母は綺麗好きであったせいか、ある程度は綺麗にしておかないと落ち着かなくて。今でも部屋は割ときれいですね。

キャリア選択の軸:
「新卒一期生で面白そうだから」受けた会社だった。

就職活動は三年の年明けから開始しました。母親が着物好きだったこともあって、最初は呉服屋さんに就職したいと思っていました。しかし、呉服というとやはり京都周辺が本場になるため、東京で面接している会社は少数でした。何とか面接まで到達できた会社も良い結果が得られなかったことから、6月に一度就活を休み、7月から業界を広げようと考え、就職先の業種を検討しました。検討した業種としては、これまでのアルバイト経験から、「人と話すことや接客に向いているかな?」と思えたので、人材系の会社を調べ始めました。

フィールズを見つけたのは8月のことでしたね。当時、新卒一期生の募集と銘打たれていたこともあり、そこが面白そうであったということが応募の大きなきっかけになりました。フィールズのホームページに「エントリーシートが書けないあなたへ」というメッセージが載っていたことも目を引きました。改めて考えてみると、自分のエントリーシートには大した志望動機や誇れるような特技もなく、魅力的な内容ではなかったことに気付いたのです。

そこで、それまではいわゆる模範解答といいますか、「いい子ちゃん」なことばかりを面接で話していたのですが、フィールズの面接ではそれを一切やめて、正直に「一期生ということが単に面白そうだから来ました」と言うと、「君面白いね」という反応でした。 改めて考えると信じられないことを言い放ったと思いますね。1次面接の面接官は「正直に話をしてくれる学生にはなかなか会えないので、そんな学生のほうが自社としてもいろいろと話をしたくなる」とおっしゃってくださり、そんなことを言い放った僕に対しても丁寧に会社や仕事を説明してくれました。

その方に会ったことで「人」が選社軸となり、フィールズ一社を専願するようになりました。面接の時点でこんなに話しやすい方がいる会社なら、働き始めた後も何でも言えるのではないかと思いましたし、「行ける」という予感のようなものもありました。 幸いその予感は当たり、10月に内定をいただくことができたので、卒業までの間はまた遊んでいました。社会に出たらこんなに遊べることもないだろうと思いましたし。実際にそうでしたね(笑)

社会人時代/ビジョン:
「人を増やさざるをえない」くらいに仕事を増やしたい。

新卒一期生だったこともあり、入社したばかりの頃は自分も会社も手探り状態だったように思います。 とはいえ、上司や先輩とギスギスしていたわけではなく、少人数ならではのアットホームな雰囲気はありました。当時は会社全体で20数人だったのですが、その半分以上が新卒だったためかもしれません。 最初の年は家電量販店の現場や大手パソコンメーカーの東京支店で営業、年が明けてからフィールズへ戻ってきて大手通信会社やプリンタメーカーの新商品拡販業務、というようにいろいろ業務やチームが変わりました。でも、家電やパソコンというカテゴリは変わらなかったので、クライアントが変わっても応用が利きましたね。

3年目からは大手通信会社のとある部署で、60人ほどのチームのサブマネージャーを1年ほどやっていました。初めて年長の方に指示を出したり、人をまとめるという立場になって、いろいろと勉強させていただきました。できると思ったことができなかったり、現場では自分より年長の方や業務に精通した方も多く、また非常に若いということでなかなか信頼されなかったりと、社会の壁にぶつかって悩んだこともあります。しかし、責任を問われるときには自分から積極的に出て行くようにしているうちに、少しずつ認めていただけるようになりました。

現在所属している人材担当には、今年から配属されました。ここは管理営業事業部という部署の中にあるのですが、事業部内でも数名しか存在しないため、新卒採用業務と業務端末や勤怠のシステム管理を一人で担当している状態です。 今後は、採用担当を増やして組織化したいですね。最初から「人を増やして」と言うことではなく、自分の手が足りなくなるくらいに採用者を増やし、「この仕事量をこなすためには部署内を増員する必要がある」という状態にしたいと思っています。人事はバックオフィス部門なので、お荷物だと思われたくないですしね。また、新卒が長く働けるようなサポート体制・組織作りに力を入れてたいと思っています。フィールズは風通しの良い組織ですが、自分の同期でもその後の新卒入社者でも、辞めた人が存在します。辞めるからには何か理由があるはずなので、そこを解消して、より働きやすい会社にしていきたいですね。
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出身 福島県
好きな言葉or座右の銘 責任
趣味 散歩
地球最後の日に食べたいもの 母の作るしょうゆラーメン
今一番行きたいところ ハワイ

長月七紀

歴史やお酒に関するコラム執筆や、医療関係のインタビュアーをしているフリーライターです。
皆様がより楽しく社会人生活をスタートできるよう、微力ながらお手伝いさせていただければと思います。

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