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大学時代にカフェオーナーを経験し、卒業後は就職せず、ヒッチハイクの旅・ストリップ劇場勤務・そして1年間の山形県田舎暮らし。現在はデザイン会社で営業に従事する竹内さんの、「一般的なレール」から少し外れたキャリアの軌跡とは?


目次

1.学生時代:大学生ギャル男時代、全ての始まりは「女の子にモテたい」
2.学生時代:営業のエッセンスが詰まった日本全国ヒッチハイクの旅
3.キャリア選択の軸:ストリップ劇場から始まった「既卒2年目」のキャリア
4.社会人時代:関西で運命の出会い。ひと目惚れでこの会社に飛び込みました
5.ビジョン:目標はTED!「自分自身を生きる大切さ」を伝えていきたい
ライフライン_パンスール_竹内様

学生時代:
大学生ギャル男時代、全ての始まりは「女の子にモテたい」

僕の高校時代から大学時代までの1番の目標が「女の子にモテること」でした。大学は関西の流通科学大学に通っていたのですが、入学当時はギャル男でした。一番モテる外見がギャル男だと思っていたのですね、当時の僕は。

そして、モテる上で大切な内面の部分は、初めてバイトをしたスターバックスで磨きました。お客様は10代の学生から80代の高齢者まで本当にいろんな人がいて、そのお客様個々人に対して「この人が僕に求めているものはなんやろな」と考えながら接客していました。

例えば、子連れのマダムや年上の綺麗な女性には、カップに「今日も一日お疲れ様でした」とか書いたりすると「嬉しい!」と喜んでもらえましたし、高齢者のお客様には孫みたいな顔をして肩を揉みに行って、ひと時の「孫体験」を味わってもらったりもしましたね。そんな背景もあり、「女の子にモテたい」という想いがいつの間にか「全員のお客様にモテたい」に変わっていきました。どうしたら相手に喜んでもらえるかを考えるようになったことが、スターバックスでのバイトを通じて得た一番の学びです。

しかし、スターバックスのバイトは3年生の時に辞めました。そしてなぜか僕は宅建の資格を取得しようと勉強を始めたのです。理由は父親に「親父がいま20歳やったら何する?」と聞いてみたところ、「宅建の資格を取る」と言ったからです。僕の父親は「会社経営者」であり、ベンツに乗っている姿や自由な時間の使い方が当時の自分から見て「ええ暮らしやなあ」と思っていたので、その父からの言葉は響いたのでしょうね。結果的に、宅建は落ちましたけど。

その父親が経営していたカフェ店舗の手伝いを依頼されたのが3年生の終わり頃です。その店舗は1年後に閉店予定だったこともあり、父親から「せっかくだし、閉店までの1年間は店長をやってみないか?」と言われたのがきっかけで、4年生の時は就活を一切せずにカフェの仕事をしていました。当時から、将来は社長になることを目標にしており、就活よりもカフェの店長を頑張った方が「自分の目指す40代の姿」に近道だと思ったのです。それまでは企業説明会に行ったり、選考対策もしたりしていましたが、その時に腹をくくって就活を辞めました。

カフェの店長をしていた時に今後の自分の生き方については頻繁に考えました。店舗が忙しい時は楽しいから気にならなかったのですが、暇な時でも外出できなかったことが自分の中で「もっと外に出て自分自身を買ってもらいたい」という欲求不満遺伝子の醸成に繋がったのだと思います。

学生時代:
営業のエッセンスが詰まった日本全国ヒッチハイクの旅

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「自分自身を買ってもらいたい」という願望を叶えるために何をしようかと考え、いろいろな人に話を聞きました。その中に、一人旅を経験した友人が数名居たのですが、彼らの話を聞いているうちに「自分も旅したいな」って思うようになりました。また、せっかく旅をするのであれば自分が目標としている「社長」と呼ばれる方々から「こいつおもろいやん」と思われるための、「ギネス記録」のような目標をつくろうと思ったのです。

そこで決めたのが「ヒッチハイクで日本中を回り101軒の家に泊めてもらう」という目標です。よく旅に出る人は「自分探し」「生きる意味探し」を目的にすると聞きますが、僕の場合はただ「目標達成」のキャッチコピーを作ることが目的でした。101軒という数は、100軒ならインパクトがあるような気がするが、それを超える101軒にしようという結構アバウトな決め方でした(笑)。実行にあたっては、途中でブレないよう、携帯電話を持たない、資金は祖母から援助してもらった15万のみ、知り合いへの連絡やSNSを使った宿探しはNG、その日出会った”ド新規”の家のみ宿泊可、という風に「自分ルール」をいくつか作りました。そして、大学卒業後の5月にヒッチハイクをスタートしました。

今思えばヒッチハイクには「営業のすべて」が詰まっていましたね。
例えば、認知され、興味を持ってもらうことが重要であることは営業活動と同じです。
まずは車に乗せてもらおうと看板を掲げても、僕が何をしているのか分からないため、基本的には無視されます。それでも稀に興味を持って停まってくれる人がいるのです。この人が営業活動で言うところの「見込み客」というわけです。ヒッチハイクの場合は「僕を泊めてくれる人」が「見込み客」でしたね。 その後、車内に入れてもらうと、今度は自分が「No1キャバクラ嬢」になったつもりで、僕に何を求めているのかを考えながら会話します。

最初は安心してもらうために僕が話し始めることが多いのですが、そこからはもう7対3くらいで相手に話してもらうことになりました。ほとんどの方が「なんでこんなことやってるの?」と聞いてくれるので、そこで僕のキーフレーズ「実は全国で101軒の家に泊めてもらうのが目標なんです!」を出します。「泊めて下さい」と直接お願いするのは自分ルールで禁止にしていたので、言い方には気を付けながら話をすると「それなら泊まるか?」と言ってくれる人も大勢いました。これで目標軒数は一つ達成ですよね。目標を達成したら、温かい寝床と食事をゲットでき、洗濯までしてもらえることもありました。泊めてもらえなさそう。」と思ったらすぐに次へ切り替えることも意識しました。営業として必要な考え方ですよね。「泊めるのは無理だけどご飯くらいはご馳走するぞ!」という方もいて、本当に人の温かさにありがたみを感じました。また、家に泊まれない場合はテントで野宿をしていました。鹿児島ではマイナス6度の中野宿をしたので、「マイナス6度までは野宿可能」という謎の免疫ができたこともヒッチハイクで得たものの一つです。

最終的に目標達成までは9か月半かかりました。乗せてもらった車の台数は578台、そのうち泊めてもらえたのが101軒という結果になりました。達成感もありましたが、正直70軒目くらいから「あとどのくらいで終わるんやろ。」と疲れていたので、終わった時はホッとしましたね(笑)。

旅が終わってから車に乗せてくれた人や家に泊めてくれた人たちに、ヒッチハイクの記録を冊子にして送り、ヒッチハイクの旅は完全に終了となりました。

キャリア選択の軸:
ストリップ劇場から始まった「既卒2年目」のキャリア

そのヒッチハイクが終わり、僕は仕事を探し始めました。ヒッチハイクの時は毎日がどうなっているか分からないことが楽しかったのですが、そのせいで求人誌などに掲載されている企業に入ってもつまらなくなってすぐに辞めてしまう可能性が高いという確信がありました。

そのため、自分が心躍らせて最高に楽しいと思える仕事はどんな仕事なのかを真剣に考えました。そしてある日の夜中3時に「カイジ」という有名な賭博漫画を読んでいたら、その中に「あるお店」が出てくるシーンがあったのです。僕はなぜかその場面を読んでピンと来てしまい、次の日早速「そのお店」の面接に行きました。そして「明日から来るように」と言ってもらえたので、次の日から住み込みで働くことになりました。

どんなお店かというと、「ストリップ劇場」です。
そこでMCと舞台照明の仕事を半年間勤めました。ストリッパーの女性達が舞台の上で「ありがとー!!」とお客様に言っている姿を見て、「これぞ最高のサービスやな」と思いました。自分の体を全開で見せながらお客さんを喜ばせようとしているんですよ。彼女達の体を張ったサービス精神はリッツカールトンでも勝てないなと感動しました。彼女達の姿を見ながら、なぜか僕は「自分も腹くくって頑張っていこう」と思って仕事を頑張りました。

半年ほどそこで働いた後、山形県からある手紙が届きました。その手紙には太い文字で「手伝ってほしい」と書いてありました。ヒッチハイクの時に山形県で僕を泊めてくれた方からで、その方が「地元の里山を活性化したい」というビジョンを叶えるために、僕に手伝いを依頼してきたのです。そこで、ストリップ劇場の仕事を辞め、山形の自然の中に行きました。元々都会でマンション暮らしをしていたこともあり、田舎暮らしはピンとこなかったのですが、将来のことを考えて嫌なことを一回くらいは経験しておいた方が良いのではないかと思ったのです。それで熊が出るような環境に行って、鶏をさばいたり、薪を割って生活していました。

そこには1年くらい住んでいたのですが、生活しているうちに気持ちがガクッと落ちました。20代から50代の5人で共同生活していたのですが、考え方が合わない部分やついていけないところがあり、どんどん病んでしまったのです。

そんな時、たまたま従妹が出張で泊まりにきて、僕の様子を見て関西に帰ってくることを薦めてくれました。それをきっかけに山形での生活を終える決意をして、1年ぶりに関西に戻ってきました。

社会人時代:
関西で運命の出会い。ひと目惚れでこの会社に飛び込みました

関西に戻ってきて「これからどうしようかな」と思っていたタイミングで「これだ!」という出会いがありました。たまたま父親が「関西でめっちゃおもしろい人を見つけたんやけど一緒に行ってみるか?」と声をかけてくれ、訪問した先で出会ったのが弊社代表の寺嶋と大亀でした。僕は彼らにひと目惚れをしてしまったのです。それで「自分を使ってもらえないですか!?」と言った結果、この会社で働かせてもらうことになったわけです。

自分を「次のフェーズに引き上げてくれる師匠が欲しい」と思っていた時に現れたのが彼らです。そして、ひと目惚れして「ここしかない」と入社した先がまさかのデザイン会社。「デザインって何ですか?」という状態からの出発で、それが24歳、「実質、社会人1年目」の始まりでした。

この会社では「0から7」を学ばせてもらっています。
営業として大阪で2年間、そして今東京に来て1年目になるのですが、大阪では大亀・寺嶋の下でいろいろな仕事の流れを教えてもらいました。それが「2から7」ですね。数は感覚です(笑)。新しく生み出すことが「0から1」だとして、その後のフェーズを学ばせてもらえたのは大きなポイントになりました。

そして今年、今度は東京に来て、事務所以外は何もないところからの「出発」を経験できる機会を頂いてます。大阪のように師匠や上司に聞ける環境がないため、自分で考えて意思決定しなくてはいけない。究極の「0から1」を実践している感じです。そして、「0から1」の後は、「1から2」「2から3」と積み上げていく部分も東京にいるスタッフでしっかり話し合って進めています。

その環境は、とてもありがたいですね。自分の考えを具体化し、そこからお客様に貢献するまでの流れを考え、実践する機会を頂いたことは本当にありがたいです。

ビジョン:
目標はTED!「自分自身を生きる大切さ」を伝えていきたい

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今後に関しては、会社での目標と個人の目標があります。

まず、会社での目標は2016年3月までに「売上目標1億7千万円」と「利益目標1億260万円」という東京オフィスでの目標を達成することです。そのために、提供するサービスの数と質、そして自分自身の心技体のレベルをもっと高めていきます。中小企業は「個人のブランディング」がそのまま「会社のブランディング」にも繋がるので、そういう意味でも自分自身を高めていきたいですね。

そして、そして、個人の目標は、「TEDに出ること」です。TED、かっこいいじゃないですか(笑)。
2016年3月に神戸で開催される予定のTED神戸に、『自分を生きる大切さ〜社会で生きるための大切なことは全てヒッチハイクで学んだ〜』をテーマに伝えていこうと思います。今はプレゼンの質を高めるために、大学生を中心に『ヒッチハイクの個別指導』を土日に行っています。ご興味ある方は是非、一緒にやりましょう!お気軽にメールで連絡をください。

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出身 兵庫県明石市
好きな言葉or座右の銘 自分を生きる
趣味 お風呂にいくこと(武蔵小山の温泉がおすすめ)
地球最後の日に食べたいもの から揚げ(世界で一番から揚げが好き。お腹には4万個のから揚げが詰まっている)
今一番行きたいところ マカオ
真崎

真崎

フリーライターの真崎です。「人のこころと足が動く記事」を目指して、就活系・社会問題系など合計7つの媒体で記事を執筆しています。
個人ブログ「真崎ですよ」
http://masaki-desuyo.hatenadiary.jp/
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投稿者:

真崎

フリーライターの真崎です。「人のこころと足が動く記事」を目指して、就活系・社会問題系など合計7つの媒体で記事を執筆しています。 個人ブログ「真崎ですよ」 http://masaki-desuyo.hatenadiary.jp/