学生時代はそこまで打ち込めるものがなかった、という横山さん。家族、恩師、友だちと過した時間、そして今の会社の社長との出会いが、横山さんの人生に大きな影響を与えています。「人と接することが苦手なんです」と話しながらも、実は人一倍コミュニケーションを大切にしながら仕事をすすめる横山さん。そこにいたるまでの経緯、そしてこれからの展望についてお話を伺いました。


目次

1.学生時代:いじめられた経験と、家族、恩師、友人たちと過ごした時間が原点。
2.キャリア選択の軸:社員ひとりひとりを大切にする社長の言葉が、人生の転機に。
3.社会人時代/ビジョン:大切なのはコミュニケーション。丁寧な仕事が自信へとつながる。

学生時代:
いじめられた経験と、家族、恩師、友人たちと過ごした時間が原点。

【写真説明:遊びまくっていた高校時代の卒業写真。】

私の幼少期は幼い頃から印刷業を営む父の職場へ連れて行かれたり、長期休暇は祖母の家へ遊びにいったりと、比較的家族で過ごす時間が多かったんじゃないかなと思います。小学校の頃はいわゆる落ち着きのない子どもでした。
中学からはサッカーをはじめました。サッカーに打ち込んで1年も経たない間に中学校のサッカー部の選抜メンバーに選ばれたのですが、実はそれが原因でいじめられることになってしまって・・・。仕方なくサッカーを辞め、そこからかなりつらい日々を過ごしました。
そんなつらい中学校生活の拠り所が、小学3年から中学3年まで通った学習塾でした。塾の先生は、勉強するときはする、遊ぶときは遊ぶというメリハリを大事にしている先生で、4、5人の仲間たちと共に、勉強し、遊ぶことが、当時は一番楽しい時間でした。

高校受験の際、自分のレベルよりも少し高い学校を志望したのですが、学校の先生からは反対されて。けれども、代わりに塾の先生がすごく応援してくれ、その甲斐もあって無事合格できました。合格がわかったときは、応援してくれた塾の先生がとても喜んでくれたのが記憶に残っていますね。
高校では授業中も含め、ひたすら友だちと遊んでいました(笑)
ボーリングをしたり、自転車で遠くまでいったり、、、ひたすら遊んだことが一番の思い出ですね。
いよいよ高校卒業後の進路を決めるというときには、両親からの「方向性だけは決めた方がいい」というアドバイスを受け、理系のなかでも情報系を目指しました。特別、これがやりたい!という意思もなかったのですが、当時すでに社会人となっていた兄の影響があったかもしれません。兄は既に社会人になっていて、職種がプログラマーだったので、そんな兄の様子をみて、大変だけれども楽しい仕事なんだろうな、ということがなんとなく伝わってきたためです。自分もコンピューターに関わることができたらいいなと思い、工学部のコンピューター応用学科に進学しました。

大学3、4年時に、プログラミングを学んだのですが、勉強していてとても楽しかったですね。そのときの学びが、今の仕事につながっているのかもしれません。苦労したことと言えば、私の所属したゼミでは、卒業研究は通常6名のチーム制で取り組みます。私たちのチームの卒研テーマは、加速度センサーを使ってサイコロを作るというものだったのですが、なぜか私ひとりですることになってしまって(苦笑)。実験し、論文を書くという工程をすべてひとりでやったので、研究発表が終ったときは、「終った!卒業できる!」という何ともいえぬ達成感と、責任を全うしたという清々しさがありました。

キャリア選択の軸:
社員ひとりひとりを大切にする社長の言葉が、人生の転機に。


大学3年の冬くらいから就活を始めました。人と接することが苦手だったので、できるだけ人と交わらないような職種を選び、そういう企業ばかり受けていました。20数社受けたのですが、筆記は通るけれど面接でダメという状況が続き、さすがに自分を否定されているような気持ちになって落ち込みましたね。けれども「働かなければ」というモチベーションで、内定のもらえない日々を乗り越えました。両親からの“まだ決らないの?”などといったプレッシャーを感じなかったのも、就活を続けられた理由のひとつかもしれません。

就活で苦戦する毎日が続いていた頃、大学の企業説明会で出会ったのが、今の会社、株式会社ブレーンストームの富岡社長でした。 これまでの企業説明会とはまったく違っていて、すごく面白い会社だなと思いました。富岡社長は社員ひとりひとりがどんなことに取り組んでいて、どう頑張って、どう活躍しているのかなど、具体的な話を熱心に語ってくれました。
中学時代のいじめられた経験で、人と関わるのが煩わしいと感じるようになった私に、一般的な会社説明とは違って、社員をとても大切にしている富岡社長の話にすごく感銘を受けました。
このときの出会いが私のなかで働くことの意義のようなものをイメージできた瞬間であったようにも思います。
その後、すぐにホームページからエントリーし、無事に内定をいただきました。

会社に入ってからは、初めてのことだらけでかなり苦しみましたね。入社して1ヶ月ほど経った頃、先輩から資料の作成を依頼されたんです。それまで仕事で使うような資料を作成したことがなかったので、作成のコツを教えてほしいとお願いしたら、「まずは自分で考えてみて」と言われ、初めて「わからないことを考える」ことの難しさを感じました。その後、周りの先輩から様々なアドバイスをもらったり教わったりして、ようやく自分で考え、何かを生み出すことの楽しさに目覚めました。

社会人時代/ビジョン:
大切なのはコミュニケーション。丁寧な仕事が自信へとつながる。

【写真説明:職場での集合写真。皆さんに可愛がってもらってます。】

3年目となる現在の仕事は主にWeb系のプログラミングが多いですね。具体的に言うと、今は求人サイトをつくっています。
仕事自体は忙しくて、自宅に帰れないこともたびたびあったり、人間関係で理不尽なことがあったりと、正直言うと辞めたいと思ったこともありました。けれども、自分が携わったWebサイトが実際に稼働しているのを見るとすごく嬉しいですし、大変な思いをして作り上げてよかったと実感できるので、それがモチベーションになっているんじゃないかなと思います。

正直、忙しくて自分ではどうにもならなく、出社するのをためらってしまう時期もありました。
その時ある先輩から、「何とかなるよ。自分が精一杯できるところまでやっていたら大丈夫」という一言をいただき、それまでの苦しみから一気に解放されたこともありました。
その言葉をくれた先輩の存在はとても大きく、その先輩がいなければ今の自分はないと言っても過言ではないと思います。

私の仕事は何名かのチームで取り組むことが多いのですが、入社したての頃は、なかなかコミュニケーションをうまくとれず、それが原因で失敗なども経験しました。その失敗から、仕事をする上で一番大切なことがコミュニケーションだと学び、それ以来、どんな些細なことでも常にシェアしながら、仕事をすすめるようにしています。

現在は主に開発部分を任されていますが、今後は自分ひとりでWebの開発から制作まで、どんなことでもできるようになりたいですね。できることをひとつひとつ丁寧に増やしていき、30歳くらいまでには、「横山に任せたらなんでもなんとかなるだろう」と言われるような存在になりたいと思っています。それが自分の自信にもつながるんじゃないかなと。
また、私生活の面で、結婚に向けて準備をしていきたいので、そういう意味でも責任感を持って仕事に取り組んでいきたいですね。
記事TOPに戻る

出身 神奈川県藤沢市
好きな言葉or座右の銘 なんとかなる
趣味 体を動かすこと、フットサル、ゲーム
地球最後の日に食べたいもの 母親の作ったカレー
今一番行きたいところ 実家でのんびりしたい
asami

asami

フリーランスライター/コーディネーター、NPO「いきはぐ」理事。ライフ、教育をテーマに取材執筆する他、 PR・コンサルとしても活動。誰かの“想い”を伝える “コトバ”を紡いでゆく。海と山の近いまちに暮らす、2児の母。
asami

投稿者:

asami

フリーランスライター/コーディネーター、NPO「いきはぐ」理事。ライフ、教育をテーマに取材執筆する他、 PR・コンサルとしても活動。誰かの“想い”を伝える “コトバ”を紡いでゆく。海と山の近いまちに暮らす、2児の母。