DSC04388 (2)

「とりあえず何とかなる」そう信じていた少年時代。追いかけていた兄との差が決定的に広がった時、がむしゃらになることの大切さを知ったという野呂さん。「今はっきりと未来が見えている」という彼に夢を持つことの意味を語って頂きました。


目次

1.学生時代:ずっと兄の背中を追っていた少年時代。
2.キャリア選択の軸:すべては人で決まる。大学時代にそれを知った時、未来が見えた。
3.社会人時代/ビジョン:28歳で退職し30歳で起業する。

学生時代:ずっと兄の背中を追っていた少年時代。

【写真説明:所属していた野球チーム】

私は生まれてから大学を卒業するまでの22年間を故郷の北海道で過ごしました。私が生まれ育った南幌町は、札幌から車で3時間ほどのところにある自然豊かな農村地帯。幼い頃はもっぱらザリガニ採りや川遊びなどに夢中で、2歳上の兄の側を離れず、いつも兄の友達の輪の中に入って遊んでいました。幼稚園・小学校と私は結構な人気者だったと思います(笑)とにかく掛け脚が早く運動神経抜群でしたから。性格的には幼い頃からお調子者のところがあり、周りを囃し立てては悪戯やケンカを仕掛ける悪ガキでもありました(笑) 勉強のほうは、まあ中の上ぐらいの成績でしたね。塾には通わず、授業を聞いているだけでそれなりの成績でしたから「自分はきっと頭がいい」と妙な自信を持っていました。当時入っていた野球チームでは4年生からレギュラーを獲得し、5年生の終わりからはキャプテンを任されました。いろいろなポジションをこなしましたが、お気に入りはショートでした。守備範囲が広く、いわゆる「デキる選手」の象徴と捉えていて、自分もそう見られたいという思いが強かったのだと思います。

中学では新しい友達がたくさん増えました。ヤンキー風の友達とも付き合うようになり、その影響からだんだん遊び癖がついていきました。夜間、親が不在となる仲間の家に泊まることが多くなり、気が付くと週の半分は家に戻らない生活に。それでも学校にはしっかりと通っていましたし、部活もさぼったことはありません。大人になってから聞いたのですが、親はこの頃の私をまったく心配していなかったと言います。今は少しだけ寄り道をしているだけだと。確かにこれまで親に反抗したことはありませんし、兄という目標となる存在もあったことは事実。兄がレギュラーを獲得した学年で自分もレギュラーになれたし、兄がキャプテンを任された学年で自分もキャプテンになった。きっと信じる家族だけは裏切らないという気持ちがあったから、最後の一線を超えることはなかったのだと思います。

キャリア選択の軸:
すべては人で決まる。大学時代にそれを知った時、未来が見えた。

【写真説明:大学時代に打ち込んだバーテンダーのアルバイト】

高校は自宅から車で3時間ほどのところにある高校に進学しました。そのため、通学できる距離ではなく、親元を離れての下宿生活を送ることになりました。この学校を選んだ理由は、先に進学した兄の話がいかにも楽しそうだったから。私が通うことになった高校は甲子園出場の実績もある野球強豪校で「文武両道」を校訓とする高校。私は進学にあたり、これからは勉強と野球にきちんと向き合おうと決意しました。野球部の練習初日。私がエースの弟であることはすでに知れ渡っており、戦力として期待されていることがひしひしと伝わってきました。自分では薄々気づいていましたが、すでに兄とはどれだけ頑張っても追いつけないほどの実力差があり、日々練習を重ねる中でそれはどんどん明らかになっていきました。率直に兄は凄いなと思いましたね。「悔しい」などという感情はなかったです。中学時代にもっと真剣に野球に取り組んでいればよかったという思いはありましたが、とにかく今は自分のベストを尽くそうとだけ考えました。

文武両道を掲げる学校であることはお話ししましたが、野球部には特に成績優秀な人が多く、学年トップ4までを野球部員が占めていました。ちなみに私は3位です(笑) 特に現代文が得意でしたね。簿記・情報処理などの検定を3科目以上取得すると全国表彰されるということが最大のモチベーションだった気がします。3年間、野球と勉強に打ち込み、自分でも頑張れているという実感がありましたが、一方で将来の展望がないことにも気付いていました。何となく大学に行きたい。考えていたのはそれだけでした。幸い指定校推薦を受けられることになり、卒業後は札幌にある大学の経済学部に進学しました。

大学ではひたすらバイトと遊びに熱中しました。大都市・札幌はそれまで過ごした田舎町とは別世界。まるで糸の切れた凧のように毎日「ススキノ」の街を遊び歩いていました。とにかくバイトして稼いで遊ぶのが楽しくて仕方ありませんでしたね。中学時代は何の心配もしていなかったという親も「さすがに大丈夫か?」と不安に思ったそうです(笑) バイトは4年間BARで働きました。ホール、キッチン、カウンターとあらゆることをやりましたね。BARは北海道・東北などに多店舗を展開するグループ店のひとつで、観光客や地元の若者で賑わう繁盛店でした。業績も好調で売上目標を16ヶ月連続でグループトップの達成率で達成するなど、「他店の模範」となる店舗であり、スタッフ全員が高いモチベーションで仕事に取り組んでいました。これに私も大きな刺激を受け、自らバイトリーダーに名乗りを上げ、より良い店にすることだけを考えていました。

バイトを始めて半年後に人事異動で店長が交代し、マネジメントがガラッと変わりました。前任の店長は細かいことまで気を配る厳しい店長でしたが、新店長は「楽しく働く」を全面に掲げ、スタッフに対して厳しい要求をしない人でした。楽しく働くという考え方自体は間違っていなかったと思いますが、そのマネジメントスタイルがスタッフの甘えを生んでしまった気がします。気が付けば掃除は行き届かなくなり、スタッフの私語が増え、お客様へのサービスもおざなりになっていき、職場の雰囲気やモチベーションはどんどん低下していきました。業績は落ちていく一方で、このままではヤバイと思いました。変わっていくお店を見ていて、やはり人が大事なのだなと感じました。

業績が落ちていく中、バイトスタッフの間でもっとも人望を集めていた院生の先輩が就職のために退職。すると後を追うようにどんどんバイトが辞めていってしまいました。危機感を覚えた私は店長に「お店の立て直しを真剣に考えましょう」と提案しました。お店には社員さんも数人いましたが、積極的に動くタイプの人はおらず、もはや私がやるしかないと思ったからです。その後は私が店長を代行するような感じで、デイリーの売上分析、発注、アルバイト教育などあらゆることをやりました。私が特にこだわったのは、あらゆる決めごとを守る意識の徹底ですかね。それこそが基本だと思っていました。業績を戻すまでには3年近くかかりました。最後に本部の成果発表会にて業績回復までの取り組みをプレゼンすることができたのは何よりのご褒美だったかもしれません。

社会人時代/ビジョン:28歳で退職し30歳で起業する。


就活を始めたのは大学3年の12月。「とりあえずホワイトカラー職種に就きたい」と考えていました。手始めに札幌での合同会社説明会になんとなく参加。大手企業のブースをいくつか回ってみましたが、いかにもマニュアルに沿った内容ばかりで面白くないと思いました。そんな中、あるベンチャー企業だけはユニークな説明会を開いていました。担当者が自身のプライベート映像などを見せながらありのままをフランクに話し「うちはみんな10時過ぎまで会社にいますね。ハハハハ」とあっさり言ってしまうなど、「ベンチャーって面白いな」と思いました。早速、エントリー。書類選考はパスし、筆記試験と面接へ進みました。しかし、結果はボロボロでした。1次面接はグループディスカッションだったのですが、何の対策もしていなかったため、大した発言もできず終了。これはきちんと対策をしないとマズいと思いました。その後はベンチャーに絞って活動を続けましたが、道内でこれだという企業には出会えず、気が付けば2月に。より魅力的なベンチャーに出会うためには東京に行くしかないなと思いました。絶対に3月の1ヶ月間で決めてやると決意し、活動資金を稼ぐため、一旦バイトに専念することにしました。

3月1日から上京し活動を開始。30社ほど周り、約10社エントリーし、最終的に3社から内定を頂きました。IT系ベンチャー、不動産ベンチャー、そしてアイデンティティー社です。アイデンティティー社の選考フローはちょっと特殊で、1次選考通過後、4日間の採用インターンに参加し最終日に合否が発表されるというものでした。ドキドキの初日が終わり会社を出ようとしたところで、「野呂君、忘れ物!」と呼び止められました。オフィスへ戻ると社長以下全員が待ち構えていて「内定おめでとう!」と内定を言い渡されました。ちょっとだけ感動しましたね(笑) そしてインターン最終日の夜、社員の方々と打ち上げに行った時のことです。社長と2人だけで話す時間があり、そこで本気の話をしていただきました。「うちに来るなら必ずお前を成長させてやる。但し覚悟が必要だぞ。」初めて、社長のお話しを伺った時から、この人と共に働きたいという思いを持っていました。しかし、世代の近い先輩にもそう思える人がいるかどうかが不安でした。それを社長に伝えると入社4年目の井上さんに会うように言われ、翌日ランチをご一緒することに。井上さんの熱い話を伺ううちに不安は一気に解消され、すぐに入社を決めました。

入社後の新人研修もユニークでしたよ。「街に出て何人の社会人と名刺交換ができるか」というキャンペーンをやったのですが、同期12名中、かろうじてトップ賞を獲得。BARのバイトで磨いたコミュニケーションスキルが活きた感じですね。じつは入社前から自分は人事・採用がやりたいとアピールしていたのですが、トップ賞のご褒美として (実際のところはわかりませんが) 社長から「関西地区で営業を採用したいから頼む」と同期の女性と共に採用を行うよう命じられました。会社からの具体的な指示はなく、すべて2人で企画しました。SNSでの広報、合同説明会会場の外での声がけなど、あらゆることをやり、結果的には20名の学生と連絡先を交換。そのうち8名がインターンシップに参加してくれました。これが認められ、現在は営業との兼務で新卒採用も任されています。

じつは入社段階で「28歳で退職し30歳で起業する」と宣言しました。もちろん本気です。当社は現在、3~5年後の株式上場を当面の経営目標としています。私の夢は役員として上場の瞬間に立ち会い、確固たる企業として確立させた後に世界旅行へ旅立つこと。そして世界のあらゆる森羅万象を目撃したあと、親友をパートナーにして起業したいと思っています。
周りの人に話すと「夢みたい」と言われることがありますが、私にとっては本気の「夢」です。
記事TOPに戻る

出身 北海道
好きな言葉or座右の銘 死ぬ事以外は、かすり傷
趣味 健康な身体づくりのためのトレーニング
地球最後の日に食べたいもの 芝漬け
今一番行きたいところ アメリカ、ギニア高地
越後屋輝樹

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。
座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」
越後屋輝樹

投稿者:

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。 座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」