わずか入社半年ながらトップセールスとして活躍中の高木さん。
今は自信に満ちて見える彼にも、苦悩の少年時代があったのだそうです。高木さんの歩んできた人生を赤裸々にお話し頂きました。


目次

1.学生時代:父は誰よりも怖かった。そして誰よりも遠い存在だった。
2.キャリア選択の軸:初めて交わした男の約束。
3.社会人時代/ビジョン:いつの日か、経営者に。

学生時代:父は誰よりも怖かった。そして誰よりも遠い存在だった。

私は福岡県北九州市の生まれで、高校卒業までを福岡で過ごしました。家族構成は両親・私・妹の4人家族です。幼少期を振り返ると、記憶の中に微笑ましい家族団らんの光景はなく、覚えているのは父の躾けが厳しくとにかく怒られたということ。食事を残すなどは言語道断で、完食するまで許してもらえませんでした。夜、ベランダに出されて何時間も家に入れてもらえなかったこともあります。

当時、私の父は旅行代理店にてツアーコンダクターの仕事をしていました。家に帰るのはせいぜい週に1日か2日だけで、家のことはすべて母に任せっきりにしていました。たまの休みにも家族サービスなどは一切せず、頭の中は仕事のことばかり。そんな父を母は許せなかったのでしょう。たまに父が家に居ると夫婦喧嘩ばかりで、家庭内の空気は最悪でした。やがて私の中学進学と同時に父との別居が決まり、私は母・妹と3人で暮らすことになりました。母は「これからは自分が父親の役目を負わなければ」と考えていたようで、私に強く干渉するようになり、反抗期を迎えた私はそれが疎ましくてたまりませんでした。母は感情的に怒ることが多く、一方的に自分の価値観を押し付けるばかりで思春期の男子の悩みなどを理解しようともしませんでした。幼少期は怖いだけの存在でしかなかった父ですが、男同士の話ができるのはやはり父だけであり、「父なら少しはわかってくれるかも」と心のどこかで考えていたように思います。当時、父に代わる存在であったのが祖父でした。祖父には塾の費用負担や高校進学について、いろいろアドバイスをしてもらいました。正直言って私は勉強嫌いでしたが、テストの点はよく、学年30位以内の成績を毎回キープ。周囲からは公立の進学校へ行くことを期待されていたのですが、地元トップの公立高校を受験した結果、不合格。私は私立の進学後へ通うことになりました。

キャリア選択の軸:初めて交わした男の約束。

【写真説明:大学時代の1コマ】

高校は中高一貫教育の地元では有名な進学校で、規律の厳しい学校でした。普通科は普通コース・特進コース・エリートコースの3つに分かれ、私はエリートコースに入ることができました。普通コースの生徒たちがのびのびと学校生活を送っているのと比べ、エリートコースはまるで軍隊のような厳しさで、制服のボタンを1つ外しただけでも激しく叱責されるほど。とても同じ学校とは思えませんでした。実際、同じ敷地にあっても校舎は離れた場所の独立棟でしたし、制服も別デザインなど明らかに違う教育であったことは確かです。始業前と放課後に特別授業が行われることも多く、まさに勉強漬けの毎日でした。もともと勉強嫌いのお調子者の私ですから、この環境は苦痛でしかありませんでした。

高校2年の夏のことです。あることがきっかけで友達を殴ってしまい、私は1ヶ月間の停学処分を受けました。自分の彼女を守ろうとしただけなんですけどね(笑)停学明けから2ヶ月ほどたったある日、突然担任から理事長室へ行くように言われました。わけがわからぬまま理事長室へ行くと、いきなり退学を言い渡されました。それまではとくに問題を起こしたこともなく、まさに青天の霹靂です。「一向に生活態度が改善される様子が見られないため理事会で退学を決定した。君の今後を考え自主退学扱いにするから、すぐに手続きをしなさい。」と通告されました。そこには母も呼ばれていて、処分の撤回を懇願し続けていました。「さすがにこれはヤバイな」と思いましたね。しばらくして、母から連絡を受けた父が駆け付けてきました。部屋に入るやいなや私に掴みかかり、何度も殴られました。慌てて先生方が止めに入りましたが、父は鬼の形相でずっと私を睨んでいました。結局、最後まで処分は覆らず、高校を自主退学することになりました。

その日は父も一緒に自宅に戻りました。父は私に「就職するか、自衛隊に入隊するか選べ」と言いました。高校中退で就職してもまともな仕事に就けるとは思いませんでしたし、ましてや自衛隊など私に務まるはずはありません。私は父に「もう一度高校に行きたい」とお願いしました。「お前、ふざけるなよ。クビになったくせに何が高校だ!」と父は頑として許してはくれません。「もう一度この子にチャンスを与えてあげて」と母も父に頭を下げてくれました。「ならば高校に行く理由は何かを答えろ!」と父が言いました。私は少しだけ考えたあと「1人前の社会人になるために大学へ進学したいからです」と答えました。父はしばらく考えたあと、「行くからにはそれなりの学力レベルの大学だ。今後は俺がお前の面倒をみる」と静かに言いました。思えばこれが初めて父と交わした「男の約束」でしたね。

退学した私は定時制高校への編入が決まり、私は父と2人で暮らすことになりました。定時制とは言っても3部制の1部に入ったため、授業は基本的に午前中。大学のようにコマを選択する形でしたので、朝から夕方まで学校にいることもあり、全日制と変わらない感じでした。父との同居が決まった時、「これからは毎日怒られるだろうな」と相当な覚悟をしたのですが、いざ同居してみると父は何も言いませんでした。帰りの遅い父に代わり私が炊事を担当したのですが、適当に作った料理を父は文句ひとつ言わずにキレイに食べてくれていましたから。

ある週末の夜、突然父に「明日は空いているか?」と聞かれました、私が反射的に「はい」と答えると、父は「明日は早く起きて出かけるぞ」とだけ言い残し、先に休んでしましました。そして翌朝、父の運転で自宅を出発。どこに行くのだろうと思っていたら、それは町おこしイベントの会場でした。そこで初めて知ったのですが、父は町おこし委員会の会長を務め、地域の人たちからは「ブラボーさん」の愛称で呼ばれていました。「お父さんはいつも君の話をしているよ」と委員会の方からそう言われ、私はすごく驚きました。イベントを仕切る父の活き活きとした姿を見ているうちに、自分は父のことを何も知らなかったのだと思いましたね。幼い頃は「父に見放された」という思いが強くあり、成長後も疎遠になった父に対して複雑な想いを抱いていましたが、一緒に暮らすようになってから少しだけ父と息子の失われた時間を埋めることができたような気がします。

卒業後は父との「男の約束」を果たし、関西の有名大学に進学。日本の政治史を中心に学びたいと思いました。

社会人時代/ビジョン:いつの日か、経営者に。

【写真説明:営業成績優秀により、先日MVPを受賞しました。】

大学時代の思い出としては4年間籍を置いた学生自治会ですね。高校の生徒会のような組織で、大学運営に関する学生側の意見を集約し、大学側への提言を行なうことが主な活動でした。私は情報宣伝部長として内外への広報を担当していました。

就職活動は大学3年2012年の12月頃にスタート。当時の私はまだ自分のやりたいことはまったく見えていませんでした。「商社マンはカッコいい」というイメージから総合・専門商社を受けまくっていたのですが、どの企業も最終面接にすら残れませんでした。考えてみれば自己分析もせず、確固たる志望動機もないわけですから、採用されるはずがありませんよね。
そこで、改めて自分が将来目指すものは何かを考えてみました。

まず、考えたのは成功者になりたいということ。そして誰よりも稼ぎたいと考えました。それならば単なるサラリーマンでは自ずと限界があることに気づき、やはり経営者になるしかないと思いました。そこで「経営者の想い」というものが知りたくなり、書店でベンチャー経営者語録を集めた本を読んでみたのですが、率直に面白いと思いましたね。これをきっかけにベンチャーに目を向けるようになり、経営者が話をしてくれる説明会だけをセレクトして参加し始めました。プログレス社は、じつは最初に訪問した会社です。説明会で見るべきポイントとしたのが「経営者の魅力」と「成長できる環境があるか」の2つです。説明会での社長のお話は今でもはっきり覚えています。「みなさんは、誰もが天才的素質を持っています。しかし、多くの人が自らの可能性に蓋をしてしまっています。それが理想の自分になれない理由だと思います。」そう語るプログレスの社長にはすごいオーラが発せられているのを感じました。その後、いくつかのベンチャーを訪問しましたが、プログレス以上の会社には出会えず、最終的にプログレス入社を決めました。

入社してからは新築・中古マンションの仲介物件営業を担当しています。
TELアポなしの100%飛び込み営業で主に北関東地区を担当していますが、はっきり言ってラクじゃありません(笑)
きついと思うこともあります。それでも結果が出た時の喜びはそれを軽く凌駕するものがあります。
マンション販売とは、お客様の将来設計のパートナーとして共に考えていくことだと思っています。どの扉かはわからないけれど、私を待っているお客様と出会うためにはひとつひとつ扉を開けていくしかないんです。お陰様で入社以来、すべての営業目標を達成し、この10月から副主任に昇格しました。しかし、これはあくまで1つの階段を上がっただけだと思っています。当面の目標は来年中にマネジャーになること。そのためにはまず圧倒的な業績を残さなければなりません。また、管理職を担うだけの人格を磨くことも重要だと考えています。「いつか経営者になる」その夢の実現のために今できることを全力でやるだけです。
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出身 福岡県北九州市
好きな言葉or座右の銘 俺は俺
趣味 サッカー観戦(プレミアリーグ・アーセナルのファン)
地球最後の日に食べたいもの ふわとろ卵のオムライス
今一番行きたいところ ロンドン
越後屋輝樹

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。
座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」
越後屋輝樹

投稿者:

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。 座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」