何となく大学に進学し、何となく法曹界を目指した須藤さん。自分が本気で生きていないことに気付いたのは大学卒業の直前でした。あえて就職浪人の道を選び、必死に自分を磨いた1年間で彼は何を見つけたのか?須藤さんのこれまでとこれからについてお話しいただきました。


目次

1.学生時代:心を閉ざしていたことに気づいた学生時代。
2.キャリア選択の軸:私があえて就職浪人の道を選んだ理由。
3.社会人時代/ビジョン:未来のCEOになるために。

学生時代:
心を閉ざしていたことに気づいた学生時代。

【写真説明:おしゃれなオフィスでインタビューに回答いただく須藤さん】

「明朗快活」私の子供時代を一言で表すなら、それがピッタリくるかもしれません。明るい性格で人付き合いがよく、いつも友達に囲まれていました。習い事などにも一生懸命に取り組み、水泳、英会話、鼓笛隊、野球などいろんなことに興味を示していました。私はスポーツ万能タイプではなくむしろ苦手なほうでしたが、それなりに頑張っていたと思います。お陰でカラダは丈夫になりましたね。小学校の6年間はとても楽しい時代でした。

中学生になり吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部の顧問を務める担任に入部を勧められたのがきっかけです。女子ばかりの吹奏楽部にどうしても男子を入れたかったようで、勧誘はなかなかに強引でした。私は上の立場の人には逆らえない性格で、押しの強い先生に言われるがまま入部を承諾してしまったのです。部員30数名のうち男子は私を含め3名のみ。女子生徒とのコミュニケーションは上手くいかず、「ここに自分の居場所はないな」と感じました。毎日の練習にも嫌気が差していましたが、辞めても何らかの部活への入部が義務であり、また他にやりたいことも特になかったため、仕方なく続けざるをえませんでした。

高校は県内随一の進学校に進みました。県立の男子校で、当然女子はいません(笑) 部活は強制ではありませんでしたが、改めて吹奏楽部に入りました。中学時代は環境が嫌だっただけで吹奏楽そのものは好きでしたから。部活は本当に楽しかったですね。学生指揮者として演奏会でタクトを振ることもありましたし、学校祭での演奏では自由に選曲もさせてもらいました。楽しさを感じると同時にあることに気が付きました。それは自分が心を開かなければ居場所は作れないということ。中学時代、女子だらけの環境をただ苦痛に感じたのは、他ならない自分に原因があったのではないかと思いました。子供の頃は喧嘩などしたことがなかったのですが、それは傷つくことが怖くて人と争うことを避けてきたからかもしれません。幼少期は多くの友達に囲まれていたと思っていましたが、じつは自分の内面に踏み込まれることを嫌い、親友と呼べる関係を結べた人はあまりいませんでした。高校時代の3年間で自分の内面の弱さに気付いたような気がします。

キャリア選択の軸:
私があえて就職浪人の道を選んだ理由。

高校卒業後は早稲田大学法学部に進学しました。高校が進学校で大学に行くのが当たり前の雰囲気でしたし、とりあえず大学に行くことにしました。じつは早稲田大学は第一志望ではありませんでした。一橋大学と慶應大学の2校のみ受験するつもりだったのですが、先生から「早稲田も受けておけ」と言われて追加受験しました。結果的に合格できたのは早稲田大学のみで、「まあ早稲田ならいいか」と入学を決めました。「法学部に入るからには、将来は法曹界に進もう」と、とりあえずの目標を掲げました。

大学へは実家の群馬から電車で2時間かけて通学しました。進学を機に東京で一人暮らしをするつもりでいたのですが、両親より「東京での一人暮らしにかかる費用と高崎から通う定期代とどっちが安いと思う?」と言われ、東京で暮らしたいとは言えなくなってしまいました(笑) 振り返ると、大学生活はあまり楽しくはなかったですね。まず、友達がいませんでした。自分から積極的に何かを発信していくタイプではなく、外との繋がりを求めて行動することがなかったからでしょうね。

相対的につまらないと感じていた学生生活でも、それなりに楽しいことはありました。そのひとつがサークルです。いくつかのサークルを転々とし、落ち着いた先が麻雀サークルだったのですが、いわゆる賭け麻雀ではなく、完全な競技麻雀を楽しむサークルでゲームとして純粋に楽しいと思いました。また、学生時代でもっとも印象に残っているのは3年から入った憲法のゼミです。当時社会問題化していたヘイトスピーチは憲法で保障されている表現の自由にあたるのかなど、様々なテーマでの喧々諤々の議論がとても面白かったですね。

大学入学時に「将来は法曹界に進む」という目標を掲げたものの、具体的なアクションを起こさないまま、気が付けば大学4年になっていました。漠然と法科大学院への進学を考えてはいましたが、「なにがなんでも」という強い意思ではなかったと思います。インターンシップや模擬裁判への参加などのほか、やれることはたくさんあったはずなのに何もしなかった自分。きっと本気じゃなかったんでしょうね。さらにこのまま法科大学院に進むのも既存のレールの上をただ歩くだけではないかという気がしてきまして。卒業まであと3ヶ月というところで遅すぎる就職活動を始めることにしました。

社会人時代/ビジョン:
未来のCEOになるために。

【写真説明:夏の武者修行中の1枚】

4年生の1月、すでに企業は翌年度の採用にシフトしていました。大学にもう1年留まり学費を払い続けるよりも、一度どこにも属していない状態でチャレンジすべきだと考え、既卒者として選考を受ける覚悟を決めました。親にも事情を話したところ、「自分の進むべきだと思う道を選びなさい」ということで、就職浪人することを了承してもらいました。折角なのでこの1年間を最大限有効に使おうと決め、1つ下の学年になる学生たちに混じって様々なイベントやインターンシップなどへ参加して、自分自身と社会を見つめ直すことに努めました。

就職活動は中小のベンチャーに絞って、業種不問でたくさんの会社を回りました。おもに就職サイトを活用しましたが、その中で1社気になる会社を見つけました。それが現在の勤務先のインデンです。「拝啓、未来のCEO」というキャッチが目に留まり詳しく見ていくと本社は京都。東京ならいざ知らず、京都から尖ったメッセージを発しているこの会社に興味をそそられました。「これは行くしかない」とすぐに応募しました。私がインデン入社を決めた理由は最終面接での社長の一言です。

「君にはこれを任せたい」

それを聞いた瞬間、自分の未来の姿が脳裏に浮かび上がったような気がしましたね。この会社でやっていこうと決意しました。

内定を頂いたのが3月。4月からの入社も考えましたが、1年間じっくり自分を磨いてから社会に出たいという気持ちが強かったため、あえて翌年入社にしていただきました。インデンとは関係なく、少々破天荒なプログラムにも応募しながら、全国各地を回っていました。

それから1年後の2015年4月1日にインデンへ入社しましたが、初日からいきなり重要な仕事を任されました。大学生向けの会社説明会でのプレゼン担当官です。もちろん内定者時代にトレーニングを数回行って頂き、学生さんの前に出ても恥ずかしくないよう訓練しましたが、最初に聞いたときはビックリしましたね。しかし、瞬間的に気付いたのです。入社した瞬間から自分は「会社の顔」であること、そして「1円でもお金を頂いたらプロ」であるということに。同時に、これだけのことを信頼し任せて下さることをありがたく感じました。

入社から現在までずっと人事・採用業務に携わっています。これまでを振り返れば、日々是成長だなと実感しています。今年の採用での出来事ですが、1人の学生が選考を辞退したいと連絡してきました。連絡を受けた私は、ただ分かりましたと電話を切ってしまいました。その対応を見た上司から「理由は聞いたのか?」と言われ、先ほどの学生に折り返しの電話をかけ理由を聞きました。直後に再び上司から「彼はウチを断ってどこに行くつもりなんだ?」と聞かれました。私が答えられずにいると上司から厳しい指摘が飛んできました。「いいか、お前は嫌われたくないだけなんだよ。お前の仕事は何のための仕事なんだ?」自分の弱点を思い知らされた気がしました。これをきっかけに「この仕事は何のための仕事か?」ということを念頭に置くようにしています。

将来はやはり経営者を目指したいですね。それも20代のうちに。未来のCEOとしてこの会社に入社したわけですから。今はそのための訓練の期間だと思っています。能力と成長志向の高い人々に囲まれ、日々たくさんのことを学んでいます。成長するための原動力とは、目標に向かって進んでいく強い意思と自ら行動する主体性だと思っています。
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出身 群馬県
好きな言葉or座右の銘 先んずれば即ち人を制す
趣味 音楽鑑賞(ヘヴィメタルが好き)
地球最後の日に食べたいもの たらこスパゲッティ一択ですね
今一番行きたいところ 台湾一周
越後屋輝樹

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。
座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」
越後屋輝樹

投稿者:

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。 座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」