「僕の人生、まさに紆余曲折ですね」河北さんはこれまでをそう振り返る。道を踏み外しそうになった彼を救ったのは彼の兄であり、憧れの先輩であり、大切な友だった。河北さんのこれまでの歩みについてじっくりと伺ってみました。


目次

1.学生時代:目標を失った中学時代。
2.キャリア選択の軸:軌道修正のきっかけは兄と憧れの先輩。
3.社会人時代/ビジョン:自分が心からいい会社と思える会社に出会えるかどうかがカギだと思う。

学生時代:
目標を失った中学時代。

【写真説明:ロサンゼルスでのインターンシップ中に撮ってもらった一枚】

私は東京都で2人兄弟の次男として生まれました。父はオートバイのカスタムショップを営み、「いずれは兄弟のどちらかがお店を継いでくれ」というのが口癖でした(笑)幼少期の私はとにかく負けず嫌いで何事に対しても自分が納得しないと気が済まない頑固な子供でした。
幼稚園に入ってすぐに地元の少年サッカークラブに入団。区では名の知れた強豪チームで、トータル70名ぐらいはいましたかね。小学校高学年になる頃には東京都選抜にも選ばれ「いずれはプロになりたい。」そんな想いを抱くようになりました。所属クラブは小学6年生までを対象としていたため、中学からは別の所属先を決めなければなりませんでした。学校のサッカー部に入るか、どこかクラブチームを探すかけっこう悩みましたね。親からは「いずれプロを目指すならクラブチームに入るほうがいいんじゃないか?」とアドバイスをもらいましたが、私の考えは少し違っていました。たとえプロになれたとしても、選手として活躍できる時間は限られていて、むしろ現役引退後の第2の人生のほうが長い。ごくわずかな選ばれたものだけしかプロにはなれないわけで、そこだけに焦点を絞り込むのではなく、将来の選択肢の幅を広く持っておくべきではと考え、学校のサッカー部に入ることにしました。

中学生に進学した頃、ある出来事がありました。私の父はハーレーのカスタムビルダーをしており日本でも3本の指に入る業界では有名な会社を営んでおります。アメリカ出張などもある中、とある年アメリカ出張がキャンセルになったことがあり、その時アメリカ出張用に夫婦で用意していた資金を父が使ってしまったことを引き金に、夫婦仲が悪化、家庭環境は下落の一途をたどりました。これをきっかけに、私はどんどん荒れていくことになります。「ワルはイケてる!」そう考えるようになり、いわゆるヤンキーたちと付き合うようになりました。部活が終わってもなかなか家には帰らず、友達の家に泊まることもしばしば。たまに顔を合わせる母親はいつも小言ばかりで、私はまったく聞く耳を持ちませんでした。もちろん、どんどん成績は下降していき、すっかり目標を見失っていきました。 

キャリア選択の軸:
軌道修正のきっかけは兄と憧れの先輩。


転機が訪れたのは中学2年の冬。兄から中学時代の先輩がいる高校とサッカーの練習試合が開かれると聞き、中学時代の憧れの先輩のプレイを久々に見たくなり応援に駆け付けたのですが、一目見て圧倒されましたね。とにかく速くて、巧くて、カッコいいなと思いました。憧れの先輩が通っていた高校は進学校だけあり、しっかりとした監督の下、戦術的に戦う一方、兄の率いる不良高校は自分勝手なプレイばかり。結果はボロ負け。「俺はいったい何をやっているんだ?」と、頭を殴られたような気がしました。先輩の姿を見ているうちに、ワルぶって格好つけているより、一生懸命真面目に生きることのほうに価値があると気づきました。翌年のクラス替えで、それまでつるんでいたヤンキーの友達とはクラスが別になったこともあり、彼らと距離を取ることができるようになりました。いわゆる「普通の友達」が増え、サボっていた勉強にも力を入れるようになりました。中学2年でオール1だった成績はオール4・5に回復。勉強はやったらやった分だけ如実に結果が出ることが嬉しかったですね。「父の跡は継ぎたくない」幼い頃からずっと反発してきましたが、それも悪くないなと考えるようになりました。そして、卒業後は父の道を継ぐべく兄の待つ地元の工業高校へ進学しました。

将来は工業高校で技術の基礎を学び、自動車メーカーなどの製造現場でその技術を磨き上げた後、父の跡を継ぐ。そんな青写真を描くようになったのです。工業高校と言えば、マンガに描かれるようなヤンキーの集まりというイメージを持たれる方が多いと思います。ちなみに私が通った高校もまさにその典型で、校内はヤンキーグループと普通の生徒たちのグループで二分化している感じでした。私はどちらかに肩入れすることはなく、どんな友達とも上手く付き合っていたと思います。ちなみに成績は常にオール5の学年トップで無遅刻無欠席、いわゆる優等生でしたね。(笑)
工業高校の授業の大半は実習と実技で、いわゆる「ものづくりの基礎」を学んでいくようなカリキュラムでしたが、正直楽しいとは思いませんでした。一度は父の跡を継いでみようと思ったものの、これを仕事にするよりももっといろんなことを学びたいという想いが強くなり、大学進学を考えるようになっていきました。
しかし、現実的に考えて工業高校の授業だけでは厳しいことはわかっていたので、2年から進学塾に通い始め、毎日寝る間を惜しんで受験勉強を行いました。実は過去に私の高校から大学に進んだ者はおらず、進学希望であることを学校に伝えてからはすべての先生から「頑張れ」と声をかけられるようになったんです(笑)こんなことなら普通の高校に進学すればよかったなと少し後悔しましたけどね。サッカー部にも入りましたが、受験の事を考え、2年生の夏に退部しました。そして、工業高校というハンデを乗り越え、ある大学に合格。当時の先生方からは「前代未聞だ」と言われましたね。社会人として通用する力を身につけるべく、ようやく中学校時代の重荷を下ろすことができたなと思いました。

社会人時代/ビジョン:
自分が心からいい会社と思える会社に出会えるかどうかがカギだと思う。

【写真説明:とある商談風景。まさに毎日が格闘です。】

大学時代はとにかく「楽しかった」の一言に尽きます。「とにかく楽しいことを何でもやる」というコンセプトに惹かれてオールラウンドサークルというサークルに参加。旅行、スポーツ、イベント企画など文字通り何でもやりました。また、バイトにも力を入れました。居酒屋のホールスタッフやコンサート会場の警備などいろいろですね。特に居酒屋でのバイトは気に入っていました。数あるチェーン店の中、全国トップの売上店、周りには意識の高いメンバーにも恵まれ、4年間働きました。魅力はお客様との距離が近いことや自分の得意客が出来たり、友達になることが多く、業務終了後に一緒に飲みに行くなんてこともあり、楽しかったですね。そして、大学時代でもっとも印象の残っているのは2年生の時に行ったバックパック旅行です。ロサンゼルスを皮切りに、ラスベガス・マイアミ・ニューヨークとアメリカを横断し、その後はヨーロッパへ。ロンドン・パリ・バルセロナ・ベネチア・ローマ・ベルリンと主要都市を巡りました。自由に旅ができるのは学生のうちだけと思っていたので、とにかく行きたいところを片っ端から回っていった感じですね。

就職活動は3年の夏からスタートしました。当時の私は「金融マン」に憧れていたんです。モノよりも人間力がより大事になる金融業界に魅力を感じ、また経済を動かす金融の世界に身を置きたいと思っていました。そして、まずは業界理解を深めようと、金融関連会社のインターンシップにいくつか参加しました。働く先輩たちの姿を見て、やっぱり金融マンはカッコいいなと思いましたね。秋以降、ある損保会社を第一志望に金融系大手企業各社の選考を受けていったのですが、結果はすべて不採用でした。じつは選考を受けていく中で、自分の想いが今イチ伝えられていないことに気づいたのです。親しい人に対しては如才なく話ができるのですが、そうではない相手に対しては上手く話をすることができないのです。満足なコミュニケーションができない自分には市場価値などないと本気で落ち込みました。

4年生に進級し、もうあとがないと本気で焦り始めた頃、親しい友人からベンチャー企業が主催する学生との交流イベントの話を聞きました。「ツトムは絶対ベンチャーに向いていると思う」と、自分がもっとも信頼する友人からアドバイスをもらい、心機一転、交流イベントに参加することにしました。そこでベンチャーで働く人たちの話を沢山伺ううちに、ベンチャーも面白いかもしれないと思うようになりました。数日後、何となくFacebookを見ていた時のことです。エクスコムグローバルの先輩である福井さんのページにたまたま辿り着き、そこで初めて当社のことを知ったのです。そこには飲み会の様子がアップされていて、何か楽しそうだなと思いました。これをきっかけに会社のことを調べていくと、自分が以前から「こんなサービスがあったら」と思っていたことをすでに実現している会社であることがわかりました。「こんな面白い会社・サービスはもっと世の中に知らしめるべきだ」それが志望動機となりました。

エントリーしてから選考は順調に進み、最後の役員面接。「河北君、本当にやるかね?」面接終盤での問いに、私は一瞬ドキッとしました。「この方と一緒に仕事がしてみたい」と自分の心には熱いものがこみ上げていたのですが、言葉でその想いを上手く表現できなかったのです。私の覚悟を確認しているのだと思いました。私は「はい」とだけ答えました。面接官は私の目をじっと見て「わかった」とだけ頷きました。面接から内定まで少し時間がかかり、少しだけ不安がありましたが、無事に採用となった時は本当に嬉しかったです。

入社から1年半が過ぎ、現在は本社営業部で法人を対象としたソリューション営業を担当しています。今年から部下4名を率いるチームリーダーとしてマネジメント業務も行うようになりましたが、実力主義の当社ではこれは当たり前のこと。若いうちからチャレンジさせてもらえる環境であることが当社の最大の魅力だと思います。この仕事を選んでよかったと感じる瞬間は、やはりお客様に喜んでいただけた時です。「世の中の役に立っている」と日々実感できることがこの仕事の最大の喜びかもしれませんね。
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出身 東京都練馬区
好きな言葉or座右の銘 人間、死ぬ気になれば何でも出来る。
趣味 サーフィン、サッカー
地球最後の日に食べたいもの 美味しいマグロの赤身
今一番行きたいところ アフリカ
越後屋輝樹

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。
座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」
越後屋輝樹

投稿者:

越後屋輝樹

1989年リクルート入社以来、HRの仕事一筋に歩んできました。現在は宇都宮市を拠点に、フリーランスとして企業の採用広報のコンサルティングとライティング業務を行っています。 座右の銘は「朝毎に懈怠なく死して置くべし」